[御礼] 画家・陽一郎の初個展『NEW FACE』は
盛況のうち終了いたしました。
多くの方にご来場頂き、御礼申し上げます。
今後の活動に関しましては、ホームページなどで随時お知らせいたします。

kit gallery houei bldg 2f-a 2-31-3 jingumae,
shibuya-ku, tokyo. info@kit-gallery.com
[終了致しました]

Reception Party DEC. 2 (mon)
from 18:00 to 21:00(open at 17:00)
@GEEK PICTURES
2-27-5 Jingu-mae Shibuya-ku TOKYO

国内外のミュージックシーンで様々な才能を見せている
音楽家・伊藤陽一郎が、画家としての新たな第一歩を踏み出した。
「なぜ音楽ではなく絵を描いているのか?」との問いに、
SNSなどを含めた浮世なものから離れ、
より"自由"を感じられる場を模索する中で
絵画に出会ったという彼は、
経験を積み重ねた
“今”だからこそ生み出せる表現で、
画家・音楽家としての
ネクストステージへ歩みだしたようだ。

new.face@yoichiro.info

図録販売のお知らせ

NEW FACEの図録を販売します。
展示作品を中心に渾身の50作品を掲載。

下記アドレスまでお問い合わせの上、お買い求めいただけます。
販売箇所は、当サイトにて随時更新して参ります。

112ページ / 
250mm×250mm フルカラー/2200円(税込)

お問い合わせ先:ロマンチッカーズブックス
book@yoichiro.info
販売元 有限会社アンテナグラフィックベース

陽一郎が絵を描く土壌はすでにあった。
武蔵小山の混沌としたスタジオから生まれた作品はキャンバスから“じっと”私たちを見つめてくる。


 伊藤陽一郎は、画家であり、音楽家であり、デザインにも携わる。この本に掲載された作品は、彼が約1年半前から描き始めたもので、日本の東京、原宿にある「kit gallery」で行われた、彼の個展『New Face』で出展されたものが中心となっている。
 まず最初に、陽一郎は音楽業界に滞りのようなものを感じていたようだった。そこで、彼は自らを先に進ませるために、音楽から少し離れて別の分野へ目を向けることに気づいたのだ。彼には、絵を描く土壌はすでにあった。学生時代に、建築を専門に学びながら、絵を描く事を学び、後に芸術の分野に特化していく。そして、武蔵小山にある自身の音楽スタジオを制作の拠点に決めると、そこが数々の作品が生まれるキャンバスとなった。
 私は、作品を見せてもらうために陽一郎に会い、活動を始めたきっかけや、作品のことについて話をした。
 彼のスタジオは、まさに陽一郎の世界を写したものだった。完成しているものから未完成のものまで、彼の作品でいっぱいの空間には、レコードや楽器、その他様々な物が部屋中に散らばっていた。そんな混沌とした場には、彼自身の不変の考えというよりは、陽一郎の欲望から創られた”何か”がそこにあるように感じた。
 私は初歩的な質問として、彼が作品で何を表現しているかを聞いてみた。「この顔は誰なんだい?」部屋中にある彼の作品も、キャンバスから”じっと”私達を見つめていた。「誰かというわけではなくて、思い浮かんだものなんだ。」と彼は言った。制作の初期には、1980年代のポップカルチャーや、広告のマークから発想を得ていたようだが、絵の中に存在する人物たちからは、陽一郎がクラブでDJをしてきた背景や文化が同時に伝わってきた。この音楽と絵の繋がりは、陽一郎の音楽制作の工程をも表している。彼の楽曲の創造には、いつも強いコラージュの要素があって、絵の中にいる人物にもそれを感じることができる。そんな明確な要素が集まって形を成しているのだ。
 だが、次第に彼の作品は、より独自性のある、特異なものへと移行していく。色は顕著な特徴だ。私達はウォーホルやフランシス・ベーコンについて暫く話し、色が画家の独自性を表していることなどを話した。そして、彼の作品には、さらにまた別の変化が登場する。おそらく彼の作品は、題材があるというよりは、描く過程の中で仕上がっていくようだ。私は彼に作業工程についても聞いた。
 「最近は、剥がすことを前提に、色を塗り足しているんだ。」と彼は答えた。絵の表面はレイヤーのように、何層にも塗り重なっている。その作品らは、彫刻の技法を用いながら、半透明に連続する過去のレイヤーたちが要素を成している。物質のように象られているわけでなく脱構築的で繊細だ。その結果、絵に描かれた人物は背景や色と共鳴し、それぞれの色は消えることなく認識される。そして、“曖昧さ”が描かれた人物に内在し、テーマやタイトルとして収束することがない。
 私は、自分達やその時間を作品に投影しているのか?それとも画家としての彼なのか?を聞いた。「見る人の解釈に委ねている。」と彼は言った。「何かを表現はしているが、形はない。」この彼の言葉を踏まえた上で、私は最後の質問をした。「作品が完成した時どう感じるの?」すると陽一郎は、「あぁ、音がするんだよね。作品が完成すると”ヴゥォォォ”とかってね。」  

サイモン・テイラー(Founder - Tomato Sutudio Collective)

魂を宿らせるための苦悩が滲み出る! 
自分をどこまで放出し続けるか!?
有名になっちゃうのかなぁ…行け!
この世のいやなやつらをぶっとばせ!
竹中直人/俳優・映画監督

俺はアートの事など何もわかりませんが、
センパイの作品にはどれもそこはかとなく
「憂い」みたいなモノ感じます。
音楽でも映画でもこの「憂い」の感じに俺は弱いです。
「憂い」は次第に「愛おしさ」に繋がっていくからです。
だからセンパイの作品はどれも愛おしいです。
Ryo-Z/RIP SLYME

''伊藤さんの絵、
ちょうど生で見たいと考えていたところでした''
中原昌也/音楽家・作家

伊藤君の画家デビュー驚いた。
このタイミングで新しい事に挑戦する
姿勢にエールを送りたい。
Natural Essence みたいな音も久々に聴きたい!
(しつこいね 笑)
下田法晴/SILENT POETS

令和元年、SexyなDJ伊藤陽一郎が開く、
Super Coolな個展‼ 必見‼
山本敦之/金色不如帰

「AKAKAGE(伊藤陽一郎)のスピード感のある
DJプレイはキャンバスに勢いよく色を次々と
塗り込んでいくアートのようだ。
そしてまた彼がリアルにキャンバスに
向かう時の自由な色、
躍る線も伊藤陽一郎というJazzである。」
イラストレーター ソリマチアキラ

久しぶりにいい絵に出会ったと思ったら
旧友の絵だった。
新たな才能の開花に惜しみ無く拍手を送りたい。
谷中敦/東京スカパラダイスオーケストラ 

YOICHIRO

1970
岐阜県生まれ。
小学生時代、YMOに魅力され、スネークマンショーの影響を受ける。
高校生時代はラグビー部。その傍ら、ファッションにのめり込み、
私財はすべて洋服につぎ込む。
当時の好きなデザイナーはクリストファー・ネメス。

1988
多摩美術大学入学とともに上京。
在学時に同級生とNatural Essenceを結成。
楽曲制作とDJ、
レコードディギンの日々。

1993
スネークマンショーの桑原茂一氏と出会い「YMOのカバ」に参加。
楽曲を提供し初のCD化音源となる。
以降「BLUE FILM」等への楽曲提供や、
様々なコンピレーションアルバムにも多数参加。

1996
FILE RECORDSよりミニアルバム「Unnatural」で
デビュー。
同年Remix Single「remixoverdose」を発売。
ジャケットと収録曲「Injury」のMVをサイモン・テイラーが手掛け話題となる。

1997
Sirkusレーベルより12inch「injury / overthrow」をリリース。
UKデビューを果たす。

1998
当初は変名ユニットとして、AKAKAGEをスタート。
クラウンより「Would you like akakage?」でデビューし話題となり、
ジャケットに使用した本人直筆のイラストも話題に。収録曲はTV BGMとしても多数使用
され、
The Style Councilのカバー「Lodger’s」はラジオ等でもヒット。
現在までに通算 10枚のアルバム(ベスト盤含む)とシングルやアナログ盤を多数リリース、
他アーティストのプロデュース、リミックス等の依頼も絶えない。

2001
この年から本人名義でのDJ MIX CDも多数発売し
ヒット。
e.g.: Style#10 (2001), Style#14 (2003),
Osteria Del Rosso ~ Macedonia
(2004) etc...

2018
画家活動スタート。

2019
初個展「NEW FACE」開催

1970
Yoichiro Ito is born in Gifu prefecture.
He gets into YMO and influenced by Snake Man Show in the elementary school days.
He joins the rugby club at high school; on the other hand, he gets interested in apparel,
and spends what little money he has on clothes.
He loves Christopher Nemeth the best.

1988
Yoichiro moves up to Tokyo to attend Tama Art University.
He forms Natural Essence with his classmates.
He keeps himself busy with composing, DJ, and crate digging every day.

1993
Yoichiro meets the organizer of Snake Man Show Moichi Kuwahara.
He serves for Moichi’s album, “YMOのカバ”, which becomes his first appearance and
commercially available musical work on CD form.
After that, Yoichiro works with “BLUE FILM”, and features numerous compilation albums.

1996
Yoichiro debuts his first mini album “Unnatural” on FILE RECORDS.
At the same time, he releases single “remixoverdose”.
Simon Taylor produces its cover art, and directs the music video for “Injury”, and which
gains attention.

1997
Yoichiro makes an appearance in UK, dropping “injury / overthrow” on a 12” record on
Sirkus.

1998
Yoichiro starts the creative project AKAKAGE.
“Would you like akakage?” is his debut work under the name of AKAKAGE, released by
Nippon Crown.
He designs the album art with his own hands, and earns reputation.
Songs from the album become popular for background music of TV programs, especially
“Lodger’s”, a cover of The Style Council’s, is often played on various format.
He’s released a total of 10 albums (including his greatest hits album) and several singles on
both digital and analog formats in 20 years.
He gets offers of producing remixes from various artists continuously.

2001
Yoichiro releases various successful mixtapes under his real name, Yoichiro Ito.
e.g.: Style#10 (2001), Style#14 (2003), Osteria Del Rosso ~ Macedonia (2004), etc.

2018
Yoichiro starts painting.

2019
Yoichiro holds his first exhibition, “New Face”.